冬休みのこと

冬休み中、金峰山小屋へ遊びに行った。





他の山小屋に泊まった時に見ることは、食事の内容より、小屋の造りより、やっぱり小屋番さんの振る舞いだったりする。
この日は吉木さんは不在で、藤田さんが小屋番さん。
夕食をお客さんに出した後、お客さんの輪の中入っていく藤田さんを見ていたら、
同じ小屋でも、小屋番さんが変わると、やっぱりその人の「小屋」になるんだな、と思った。

徳さんがやるのと、北爪さんがやるのとも違ってくるだろうし、北爪さんがやるのと、私がやるのとでは、また違った小屋になるんだろうな。
そう考えると、山小屋ってやっぱり面白い場所だなぁと思う。

そういう場所が山の中にポツンポツンとあって、この冬の間に、いくつか泊まらせてもらった。
これは小屋で働いてる特権のひとつだと思うけど、気軽に「こんちは」って訪ねて行ける小屋ができていくのは嬉しいこと。
ちょっとだけ「渡り鳥」みたいだ。







翌日は甲武信方面へ…。
のつもりが。







全然ペースが上がらず、10歩歩いては休み、10歩歩いては休み…。
雪踏みにくたびれて、ひっくり返って見上げたら、空が青いこと、青いこと。

私、こんなに歩けない人だったっけ。

バテバテで小屋に到着する人の気持ちがよく分かったような気がした。
(今年は『歩けない人』の気持ちが分かる小屋番さんになろう…)



寝袋に潜っていて、寒くて眠れないと色んなことを考える。
夜中、横になりながら、まずは明日、どうしようとずっと考えていた。
行くが8割行かないが2割だったのが、だんだん逆転したりまた戻ったり。
今日歩いてみた自分の体力や、雪の感じや、今の気持ちや、残りの食料や、明日の天気予報。一人で全部を決める作業が今回の一番の核心部みたいだ…。
行かない、と決めたら、今度はまた違うことを色々考え始めていた。

人と「親しくなる」って、どういうことなんだろうと、この頃よく思う。

高校生くらいまで、「その人と一緒にいて面白い」と思うことが、その人と「親しい」ってことだと思っていた。
だから、頑張って話題が途切れないようにしたり、「つまんない」って言われるとものすごくへこんだりしていた。
でもそうじゃないのかな、と最近は思う。

同じ場所に居たり、同じ物を見たり、
それぞれ同じことや違ったことを感じたり、それについて話したり話さなかったり、
会わない時間も長かったり短かったり。
お互いを良く思ったり、良くは思わなかったり。
そういう長い時間の流れを全部ひっくるめて「親しい」になるんかな。
「面白い」っていうのは、その次でいいのかも。

だからもっと安心していいのかもしれない。無理して親しくなろうとしたり、上手に親しくなれなくてがっかりしなくてもいいのかも。
それでも「親しい」とお互いに思えたら、それが「親しい」なのかもしれないなあ。

ちょっと前の自分だったら、いちいち親しくなろうと努力するか、とりあえず表向きだけいい顔して関わらないようにしていたかのどっちかだ。
でもあの小屋にいたら、みんなが濃すぎるから、周りと合わせようとしていたら、カメレオンみたいになっちゃうだろうな…。
だから自然と「合わせなくてもいい」と思うようになったのかも。
そういうことを考えるようにさせたのは、あの小屋の常連さんだったりお客さんだったりする。

別に親しくならなくてもいいけど、やっぱりそういう人たちや、そういう時間は財産だな、と改めて思った。

それがこの冬の休暇中、いろんな人に会ったり、新年会や合宿でみんなと集まったりして思ったことのひとつ。







翌日は長い林道歩き。
一人分のスキー板の跡を延々と追いかける。
つまんないかな、と思った林道歩きも、陽射しがいっぱいで、これはこれで楽しかった。
歩いてみるもんだ!






いろいろ思った二日間でした。