藪を漕ぐ

不明の方が全然見つからなくて、一ヶ月。
ボッカの往復の時はなんとなく気にして歩いていながら、改めて探しに行く機会がないままひと月が過ぎた。
小屋にチラシが貼りっぱなしで、口にしないけれど、みんなずっと気にかかっていた思う。


「あの辺りが気になるから行ってみよう」
11月の初め、二人で尻岩のあたりから東沢に向かって下りてみた。
少し前にこの辺りをよく歩いているM君がふらりと小屋に来たときに、なぜかこの辺りの廃道の話が出た。なんの脈絡もないのに、ここの話題が出たっていうのも何だか気になっていた

尻岩から下り始めてすぐに杣道っぽい踏み跡があった。「それっぽいところをたどってみて」と言われたけど、すぐにまた道が分からなくなった。
私は踏み跡を追うのは下手だ。
でも「そういう人」の目線に、私なら、なれるのかもと思って、そういう目で下りてみた。はぐれないようにお互いの姿をちらちら確認しながら下りた。
結構しっかりした沢になった。
沢を横切るように、いやにしっかりした踏み跡があった。今度のはシカ道。
それを辿ってみる。
私だったらどう辿るだろう。
どう迷うだう。
道に迷ったら、どういう気持ちでどう歩くだろう。
その人になったつもりで歩いてみる。

もう時間もなさそうなので、沢沿いやシカ道を辿るのは諦めて、そこから三宝山まで登りかえすことにした。
もう道じゃなくて、ただの山の斜面だ。
でも、もしかしたらここを歩いて登りかえしたかも。とまだしつこく思っていた。
何か手がかりになるものでも落ちてないかな、と。
その反面何か見つかったらどうしよう…ともちょっと思っていた。

登り始めたら、結構たいへんでコメツガだかトウヒだかの幼木が繁っていて、まず足元が見えない。
行く手も思いっきり遮ってくれているので、手でかき分けるようにして前に進む。
歩いている、というより泳いでいるみたいだった。
しんどい。
息が切れる。
けど、もがきながらも一直線に進みたい方向へ突っ込んでいくのが、不思議と楽しくなってきた。
もしかしたら、脳から何か分泌液が出てるんではないかなあ。
ぐいぐい、はぁはぁしながらひたすら上を目指す。
少しづつコツのようなものが掴めてきて、例えば倒木の上を歩けば当たり前だがその倒木の幅だけは藪は無いから、掻き分ける必要が無い、とか。
あらかじめ歩き良さそうなルートを見当つけてから進むとか。
どれも当たり前のようなことだけど、藪を漕いでるときは、こんなことも大発見のように思えた。

三宝山は裾野が広い。
林の隙間から、空が見えてきてもまだ先があった。
木々が密になってきて、身体を横向きにしながら幹をかわすようにして進む。
そうしたら、ぽん、と山頂の標柱のところに出た。
ステージに飛び出たみたいだった。

時間にしたら半日も歩いていないけど、「歩いた!」と、しっかり思えた。
結局なんのてがかりも無かったけど、歩きながらなんとなく「あ、これって歩かせてもらってるのかも」と思えた。


その日の宿泊は、三峰神社の神主さん達が慰霊祭の準備で来ていた。
夕食を一緒に食べてる最中に、不明になっていた家族の方から電話があって、今日発見されたことを知った。

見つかったのは全然違う場所だったけど、今日歩きに行ったのは全然無駄な気がしなかった。
慰霊祭の直前に見つかったことも、神主さんや他の山で亡くなった遺族の方達が来ているときに連絡が来たことも、「そういう日」だったから?と思うと収まりがつくような気がした。

この一か月近くのいろんなこと(思ったことや考えたことも含めて)や散らばったこと、もやもやしたものが、箱に入って、きれいに蓋を閉められたな、と思った。

そうそう。この一か月、いろんなことを考えたり思ったりしたことはいっぱいあった。ひとりの登山者としても、小屋で働くひとりとしても。
例えば、すれ違う登山者の様子をちゃんと見るようしようとか、ちょっとおかしな時間帯におかしなところを歩いている人に声をかけるとか。


亡くなった人は、無口ではなくて、いろんなことを伝えてくれたんではないかと思う。
もしかしたら自分の勝手な思いこみかもしれないけど。思ったことや感じたことは無駄ではないと思う。
ありがとうを伝えたいなと思ったし、ここを歩いた時ことは忘れないようしようと思った。